海保機にもJAL機にもミスはなかったと思います

管制塔の管制官の海保機への指示が曖昧で、また進入して来るJAL機への注意不足での事故で、私は管制官の判断ミスだと思っています

ずぅと待っていた事故調査の概要が出て来た、といっても中間報告って?

運輸安全委員会は2024年12月25日、調査の中間報告書が公表された

海上保安庁所属ボンバルディア式DHC-8-315型JA722A及び日本航空株式会社所属エアバス式A350-941型JA13XJの航空事故調査について(経過報告)令和6年12月25日【運輸安全委員会(航空部会)報告書(PDF)】

 

【事故経過報告書から】

1)海保機の機長と副機長は2人ともに滑走路への進入許可を得たと判断した

2)管制塔の管制官は海保機が滑走路に進入を継続し、滑走路内に留まっていた事を認識していなかったP125の10・11行目

3)海保機を誘導する管制塔の管制官と違う「*東京ターミナル管制所」の管制官はレーダー画面で海保機が滑走路に進入していることに気付いていた事が判った

4)管制官の指示を受けた副機長は、C5誘導路の停止位置までの走行と、離陸順位が1番目であることを正しく復唱した。

A)*東京ターミナル管制所(報告書にはDFと書かれている)でレーダー画面を見ていたその管制官は、海保機が既に滑走路内に進入していたので、日航機が着陸をやり直すゴーアラウンドをしないのかと考えて、海保機を誘導する管制官に「JAL機はどうなっているのか」と問うた!

B)それは、JAL機が着陸の為に問題なく滑走路に進入続けている様にレーダーからは見えたから、その*東京ターミナル管制所(報告書にはDFと記載されている)の管制官の問うた事に管制塔の管制官はその意図が分からなかったと報告書には記載されている(P16の2行目から)

C)問うた15秒後に海保機とJALは衝突

D)JAL機長は衝突直前まで海保機の存在を認識していなかった

 

*東京ターミナル管制所(報告書にはDFと書かれている)とは、主に羽田空港、成田空港において離着陸する航空機に係るターミナルレーダー管制業務及び進入管制業務を行う管制機関

 

羽田空港の1日の当たりの離発着回数はざっくり1200回強と云われています、よく航空専門雑誌で読んだのが羽田空港の場合は滑走を開けて置く時間は1分30秒と認識していますが(間違っていたら御免なさい)、そんな短時間に、離発着機をさばくだなんて、航空管制官の管制業務は神業だと思っていますが、神で無く人間だから事故が起こらない筈がないといつも考えている不謹慎な思いです

 

別の管制官が「JAL機はどうなっている」と問うたが、その問うた15秒後に海保機とJAL機は衝突した

2024年12月25日

 

写真・図版
事故当時の両機の動き

1月に起きた羽田空港の航空機衝突事故をめぐり、国の運輸安全委員会が25日、経過報告書を公表した。海保機、管制官、日本航空(JAL)機の3者の事故経緯をまとめた報告書からは、様々な要因が重なり、事故につながった可能性が浮かび上がってくる。

海保機は事故が起きた1月2日、能登半島地震の救援のため、新潟航空基地に向かう予定だった。指令が出たのは午後2時55分。支援物資が羽田に届くのが遅れたが、基地職員や特殊救難隊員も協力し、毛布100枚や非常食800人分などの物資を急いで積みこんだ。

荷下ろしにも時間がかかると見込まれた。男性機長は「羽田空港に戻った後の乗員の帰宅方法についても考慮し、なるべく急ぎたい」と考えていたという。出発前には補助動力装置に不具合が生じ、予定より40分遅れで滑走路に向かった

 

写真・図版

 

海保機はJAL機の着陸を知らなかった可能性もある。公開された交信記録によると、

海保機が、滑走路を担当する「タワー管制(飛行場管制)」の周波数に切り替えて交信を始めたのは、管制官とJAL機が着陸の許可に関するやり取りをした約10秒後だった。

 

 

 

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村松社長

旅行産業界に身を置いてはや45年。シンガポール航空社の日本でのB2Bリーディングカンパニーから京都の制御機器メーカー傘下旅行社を経て起業して以来早くも28年目に入りました。このコロナ禍で本当の旅行情報を発信するために旅行WEBマガジンを令和3年に立ち上げる。専門は海外の出張など。趣味:散歩ついでのお地蔵さん・神社お詣り、銭湯巡り、落語鑑賞、映画鑑賞。