海外旅行の企業法人の出張旅行手配をさせて頂いておりますと幾度なく、ヤバイ状況下での出張者の帰国手配に奔走した思い出がたくさん甦ります

湾岸戦争、9.11、SARS、そして直近のコロナ禍での都市封鎖前夜2020年2月1日深夜から未明の中国・安徽省・蚌埠(バンプウ)市からお客様の脱出劇、現地の名もない中国人タクシードライバーの機転に救われました、小生も少しは間に入っての航空便の再手配や航空券の切り替えなどのお手伝いしましたが、麓で心配している感でした

当社のお客さまは、そのドライバーの5時間にも亘る深夜から未明に地道を走る必死の行動に救われて無事に帰国できました(詳しくは又の機会に)

何が起こるか判らない海外の土地で商いする日本人たち間では、万一不測事態が起これば、駆け込む先が・・・何処だと思いますでしょうか?

ズバリ【アメリカ大使館】に駆け込みます』と小生が接した多くの出張猛者たちは云っています、笑えぬ笑うマジな話です、日本国大使館じゃないんですよ!

兎に角、日本政府(官僚主導のその場限りのご都合主義)の対応の遅さと危機感の無さは周知の如くです、危機に瀕した自身の危機管理としては至極当たり前のアメリカ大使館駆け込みは、出張者にとっては不文律となっています(爆笑

さて、またぞろ、笑ってしまうお話です

 

おいおい民間が自費で手配した便が先とは!自国手配でない事のバツの悪さからか?!民間企業が独自に手配したとは一切説明しなかったことによる在留邦人の混乱を招いたとは・・ また同じ事の繰り返しですね

 

企業手配の特別便で在留邦人混乱 政府主導と誤解、インドネシア

 

感染が急拡大しているインドネシアで、大手ゼネコンの 清水建設が2021年7月14日に自社で手配した全日空の特別便を、政府主導の手配便だと誤解する在留邦人が相次ぎ、一時混乱が広がった。

加藤勝信官房長官は13日の記者会見で「14日に在留邦人が日系航空会社の特別便により帰国予定で、政府としても支援していきたい」と述べたが、 清水建設が独自に手配した便だとは説明しなかった。

企業手配便という点に触れない形で報じられると、「政府が運航させる便なのか」といった問い合わせが在インドネシア日本大使館に寄せられた。

 

日本政府の対応分は2021年7月16・17日の2日間で各1便の帰国者が対象・・・

事の発端は、日本政府のジャカルタ発成田行きの特別便の運航について・・

 

そこで小生は忘れもしませんのが、イランイラク戦争での

在留邦人救出が一民間人の横の繋がりとトルコ航空機長の勇気で成し得たと

第9話 『なぜ、日本は救援機を出さなかったか?その真実を知る』から

 

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1985年イランイラク戦争での残されたイラン在留邦人救出を依頼した日本政府の懇願を日本航空労働組合は邦人救出臨時便の運航を拒否したんですよ!JALヘタレです

そもそも自衛隊機を出さない日本国の方がヘタレなんですが

在留邦人脱出劇

なかなか終わらない戦争に対し、日本では両国の名前をもじって「イライラ戦争」と呼ばれた。両国の都市爆撃の応酬が続く最中の1985年3月17日、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は、無差別に攻撃するとサッダーム・フセイン大統領が突如宣言した。

この宣言後、イランに住む日本人以外の外国人は、おのおの自国の航空会社や軍の救援機によって順次イランから脱出していった。

しかし、日本においては当時自衛隊が海外へ救援機を飛ばすことはできず[注 1]日本航空にチャーター便の派遣を依頼したが、同社のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、安全が保障されないことを理由に拒絶した。その間、在イラン日本大使館では手を尽くして救援機を派遣した各国と交渉したものの、いずれの国も自国民救出に手一杯であり、希望者全てを乗せてもらうことは到底かなわず、未だ200名を超えるイラン在外日本人が全く脱出方法が見つからずに、生命の危機に瀕する状況にあった。

トルコ政府の協力

しかし、土壇場で個人的な親交に一縷の望みを託した野村豊在イラン特命全権大使がイスメット・ビルセル在イラン・トルコ特命全権大使に救援を要請したところ、トルコ政府が応じ[注 2][27]ターキッシュ・エアラインズの自国民救援のための最終便を2機に増やしたため、215名の在留邦人がそれに分乗してイランを脱出した。タイムリミットの1時間15分前だった。

なお、トルコ機は自国が近隣に位置することから陸路での脱出もできる自国民よりも日本人の救出を最優先し、実際この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出した。このようなトルコ政府とトルコ航空の厚情の背景には、1890年(明治23年)日本に親善訪問した帰途、和歌山沖で遭難したフリゲートエルトゥールル号救助に際し日本から受けた恩義に報いるという意識もあったと言われている[28]

2015年、日本・トルコ修好125周年を記念し、エルトゥールル号遭難事件と テヘラン邦人救出劇を描いた映画『海難1890』が日本・トルコ合作映画として製作された。

 

 

トルコ人 オルハン・スヨルジュ機長

 

1985年イラン・イラク戦争が勃発した際に、国外脱出困難となった在留邦人の救出のために、トルコ政府から派遣されたトルコ航空2機のうち、第1機長を務めた[4]。イラクのサッダーム・フセイン大統領の発した「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明のタイムリミットぎりぎりにメヘラーバード空港で215名の日本人を救出し、トルコ領空に舞い戻った[5]

 

当時のその状況を見た者としては、JALの対応、日本国の対応に不甲斐なさに、憤りを覚えたことが思い出されて

 

思わずこのマガジン投稿に力が入ってしまいました!!(爆笑)

 

とどのつまり今の日本(政治家)は・・・ なんだかなぁ〜

コロナ禍で噴出する多くのポンコツ対応、が物語る日本を引っ張る為政者為には【侍】は、いません

言わずもがなです

 

 

 

 

 

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村松社長

旅行産業界に身を置いてはや45年。シンガポール航空社の日本でのB2Bリーディングカンパニーから京都の制御機器メーカー傘下旅行社を経て起業して以来早くも28年目に入りました。このコロナ禍で本当の旅行情報を発信するために旅行WEBマガジンを令和3年に立ち上げる。専門は海外の出張など。趣味:散歩ついでのお地蔵さん・神社お詣り、銭湯巡り、映画鑑賞。