1985年8月12日(月)ご存知の日本航空の500名を超える死者を出した航空機事故、羽田空港から伊丹空港へ向かうJAL機、19時には伊丹に到着しする筈だった、関西の旧盆で帰省を目的とした人たちが多く搭乗していたのではと想像に難くない便
小社スタッフは前職の先輩が乗っていた、小生はこの事故の数日前に、航空券の事務処理を現在の西梅田のリッツカールトンホテルの敷地に在った西阪神ビルの航空会社へ伺い、その処理に当たってくれた方が搭乗していた
操縦室音声記録装置(CVR:Cockpit Voice Recorder )が、既にあらゆる所に出てます(改ざんされているとは思いますが)
墜落原因は、機体後部の圧力隔壁のボーイング社の修理ミスで、その隔壁が破壊され、破損した部材が垂直尾翼を壊し、操縦不能となり、有名となったダッチロールを繰り返して墜落したと?
しかし最後まで、職人魂のプライドを持って圧力隔壁の修理を施したボーイング社の職人たちは、その修理ミスを認めなかった(結局は認めた)
元乗務員が「事件」と言い切る意味
配信
事故調査委員会はボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)の破壊と事故原因を結論づけたが、これに長年、異を唱え続けるのが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏だ。「墜落は事故ではなく事件」と言い切る彼女を直撃した。
ずっと事故原因は「圧力隔壁破壊」だと信じていた
──青山さんは日本航空客室乗務員を経て、ノンフィクション作家として日航機123便墜落事故に関する著書を7冊も出されています。でも、青山さんの名前をネットで検索すると、「実在しない」との関連ワードが出てきて。
顔写真もないですし……。 青山透子(以下、同) いますよ(笑)。弁護士会や大学で何度も講演会を行っています。 ネットでは知らない人から無責任にいろいろといわれてますでしょ。ちなみに青山透子はペンネームです。故・黒澤丈夫さん(墜落現場の上野村の村長)に名付けてもらいました。
──123便の墜落事故が起きた当時は、なにをしていましたか? わたしは日本航空(以下JAL)のキャビンアテンダント(客室乗務員)で、北品川のスカイハウスという女子寮にいました。
8月12日の午後7時26分頃123便が消えたというニュース速報が流れ、寮の電話が一斉に鳴り出しました。各部屋に黒電話が1台ずつ引いてあったので、ほんとにスゴい音で。家族や親戚が心配になって電話をくれたんです。 生存者(わずか4名)のひとり・落合由美さんの部屋がわたしと同じフロアでした。彼女の部屋から、けたたましく電話の音がずっと鳴り響いていたのを覚えています。翌日、新聞に先輩たちの顔写真と氏名が載っていて、誰が亡くなったか知りました。大変お世話になった先輩たちだったので、体中が凍りつきました。 それから二十数年経って、123便の墜落に思いをはせる編集者を紹介され、先輩たちとの思い出話が中心のエッセイを書くことになったんです。一旦、書き終えると、本としてのボリュームが全然足りないので「もっと事故について調べてみてはどうか」と編集者に言われ、情報を集めることにしました。 ──どんなことから調べ始めたのですか? なにせ素人ですから、なにからはじめていいのかわからない。そこで図書館に行って、新聞の逆読みをしました。何紙も比較しながら日付の後ろの記事から読んだのです。 そうすると、記事からいろんなことが浮かび上がってきました。例えば、ボイスレコーダーやフライトレコーダーの解明が済んでいないのに、「事故原因は後部圧力隔壁破壊(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)」という報道があったんです。 操縦室でどんな会話がされたか、飛行機がどんな動きで飛行したか、そういうことを調べていないのに、判断を下していたわけです。そこからなにか隠蔽しているのではないかと思うようになりました。実は私もそれまでの二十数年間、事故原因は圧力隔壁と思い込んでいました。
垂直尾翼に当たったのは自衛隊のミサイルだった!?
──青山さんは圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼(後部に設置され飛行機の左右のバランスを保つための縦方向の翼)になにかが当たったのが事故の原因と訴えていますが、その根拠はなんでしょうか? 2013年に運輸省の航空事故調査委員会が作成した「事故調査報告書別冊」がネットにアップされ、飛行中の123便の垂直尾翼に、突如外部から11トンの外力が加わったとはっきりと書いてあったんです。決定的証拠です。圧力隔壁の破壊ではなく、最初に垂直尾翼が破壊されて操縦不能に陥ったのです。 ──なにが当たったと考えられるのでしょうか? 当時、防衛庁は国産ミサイルの開発に力を入れていました。「自衛隊がオレンジ色に塗られた模擬ミサイルで試射実験を繰り返し行なっている」と事故前日の新聞にも出ています。実際に123便の垂直尾翼の一部を相模湾から回収した護衛艦「まつゆき」も事故当日に出航しています。記事にあるように模擬ミサイルの試射を行なっていてもおかしくはありません。 実は1968年にエールフランス航空1611便が、エーゲ海で演習中のフランス海軍艦艇から発射されたミサイルで墜落させられた事件が起きています。しかしトイレの火災を事故原因とし、本当のことは長らく隠蔽されてきました。状況が似ていませんか? 123便の乗客が窓から外を撮った写真に黒い物体が写っていました。これを専門家に分析して拡大してもらったら結果、オレンジ色でした。模擬ミサイル(あるいは訓練用の無人標的機)もオレンジ色をしています。つまり最初に垂直尾翼に当たったのが、このどちらかという可能性があるわけです。
政府はすぐに事故現場の特定していた!
──事故現場の特定に時間がかかり、実際に自衛隊の救助活動が行なわれたのは、発生から10時間以上も経ってからです。なぜ大幅に遅れたのでしょうか? NHKをはじめ多くのメディアが事故現場不明とするなか、1985年8月12日付け信濃毎日新聞号外に「墜落現場は群馬県上野村山中とみられる」と書いてあります。なぜ大手マスコミは特定できなかったんでしょうか? NHKは違う場所を報道するなど二転三転していますが、わざわざNHKに「上野村が事故現場」であると電話をかけた人もいます。現場を伝えているのに、それが一切ニュースで報道されていません。 しかも墜落前の123便を自衛隊のファントム2機が追尾しているのを目撃した人たちもいます。つまり自衛隊は場所を特定できたはずです。 警察の冊子「上毛警友」(1985年10号)に現役の自衛隊員がファントムを見たという証言が載っています。また、地元の小学生による「小さな目は見た」(1985年9月)という文集には、生徒とその家族も含めて総勢225名の目撃談が載っています。真っ赤な飛行機が飛んでいたとか、飛行機が追いかけっこをしているとか、たくさんの人たちが見ています。しかし、この時間帯にファントムが発進したという事実は、自衛隊の公式記録には残っていません。 また、事故から10年後の1995年には、当時米空軍第三四五戦術空輸団に所属していた元中尉のマイケル・アントヌッチ氏が墜落の20分後に御巣鷹の尾根に煙が上がるのを確認したと証言しています。彼は沖縄から横田基地にC130輸送機で戻る途中、大島上空で123便の機長の緊急事態発生の無線を傍受しています。 アントヌッチ氏の報告を受けて米軍ヘリが上野村に向かいますが、隊員がまさにロープで降りようとした直前で、なぜか帰還命令が出されています。目の前に犠牲者がいるのにですよ。政府にとって都合の悪い証拠隠滅のために救助が遅れたわけです。 生存者の落合由美さんは、事故直後何人もの乗客が生きていたと証言しています。もっと早く救助活動を行なっていれば、助かった命もたくさんあったはずです。
おかしな裁判結果
──新刊『日航123便墜落事件 隠された遺体』(河出書房新社)では、不可解な裁判結果に触れているそうですが……。 まず、裁判(遺族の吉備素子さんが日本航空にボイスレコーダーの全開示を求めた訴訟)の結果を皆さんに報告するために、と判決文を入れています。2021年に吉備さんが起こした東京地裁での裁判では、原告側が提出した証拠証明書は膨大な量でしたが、JAL側は新聞記事2枚のみ。そういったこともあってJAL側に対する裁判長の心証は悪く、こちらに有利に働くかなと思っていたんですが、なぜか突然裁判長が判決直前に交代。結局、棄却されています。 吉備さんは最愛の夫・雅男さん(享年45)を事故で失っています。遺体はバラバラになって、手と足とお腹の皮膚の一部しか見つかっていません。なぜ雅男さんが死ななければならなかったのか? 事故原因を知りたいと思うのは当然です。それなのに事件を起こしたJALはボイスレコーダーを開示しません。ボイスレコーダーは、航空会社でなく米国では国家運輸安全委員会、日本では運輸安全委員会が保管して、時期が来たら必ず開示する。これは世界において当然のルールです。 ──最後に、ここまでの熱量で青山さんが調査、研究、執筆をする原動力はなんですか? 長い人生において、老いれば経験則ばかりで話をしがちですし、若者はネット上の浅く狭い範囲しか物事を知らないかもしれません。しかし調べれば調べるほど、知らなかった真実が浮かび上がってきます。実際、先日も墜落直後から遺体検視所で働いていた看護師さんからご連絡をいただき、驚くべき新事実を教えていただきました。(詳細は新刊『日航123便墜落事件 隠された遺体』にて)わたしはこの日航123便事件への調査を通じて、物事を多重的、多層的に考えていくことを世の中に伝えたい、そう思って執筆を続けています。常に独立した精神をもつ研究者でありたいと心掛けているのです。
村松社長
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